長池の大蛇伝説と太刀

長池に伝わる伝説

城陽市で最初に出来た鉄道の駅『JR長池駅』

 

長池駅の南口前には『長池の伝説』として、大蛇退治の物語が大きなプレートに書かれています。

『むかしむかし、奈良街道沿いに、端から端まで300メートルはあろうという長い長い池があったそうな。そこには悪い大蛇が住んでいて、ときどきぬーっと姿を現しては近くに住む人に悪さをはたらいておったんじゃと。
 若い娘さんなどは、大蛇が池から顔を出してこちらのほうをジロリ、とにらんだだけで腰をぬかして動けんようになってしもうたほどじゃ。困り果てた村人たちは、「このままでは池の主にみんな丸呑みにされてしまう。なんとか神さんに退治してもらえんじゃろか」と近所の神社に片っ端からおがんで回った。
 するとある日、どこからともなく刀を持った人が現われ、大蛇をバッサリ切り捨ててまた消えて行ったそうや。村人はびっくりするやら喜ぶやらで、「きっとあれは行基菩薩さんの化身に違いない。ありがたい、ありがたい」と騒いでおったが、死んだ大蛇の尾から立派な剣が出てきたのでまたびっくり。これは神さんに奉納せなあかんと思うて、大和の石上神宮(いそのかみじんぐう)に差し出したそうや。それからは池も静かになり村は栄えましたとさ。
 今、もうこの長い池は埋め立ててしもうたけど、長池という地名はこの池からきておるんやそうな。山州名跡誌という本にも載っておるし、大和、今の奈良天理市の石上神宮にはそのときの刀が残っておるそうや。』

伝説の元は山州名跡志

この伝説の元を探ると、江戸時代に書かれた『山州名跡志』に由来しているようです。この書物には、『昔、この池(長池)に悪蛇があり、これを憂えた近隣の人々が諸仏に祈ったところ、化人が来て悪蛇を伐って退治したが、その際、退治した悪蛇の尾の中に剣があったのでそれを取って石上神宮に奉納した。』と書かれていて、その後ろに、『考えてみれば、元々布留の社(石上神宮)の宝物に布留の剣があり、その由緒を社記に詳しく載せている。』と書かれています。

布留の社の社記に書かれていたのは

ここに書かれている、『布留の社の社記』とは何なのか調べると、『和州布留大明神御縁記』という文書に行き着きました。この書物は、『神道大系 神社編 大神・石上』に収録されており、その元となる写本は、奈良県の旧家に保管されています。

その文書では、太刀は、白河天皇が石上神宮に奉納されてたと書かれています。そして、奉納の動機が、『長池の大蛇退治のお礼』だというのです。そして、『この剣(小狐の太刀)は三条小鍛治と稲荷大明神が打って天子に奉った御剣』と書かれています。有名な能の演目『小鍛治』で三条宗近が打った『小狐丸』だというのです。

『白河天皇』『石上神宮』『小鍛治』。どれも超有名です。それなのに、出来事の舞台となった『長池』は超無名‥‥‥。長池ももっと有名になってほしいものです。

古文書に書かれていた小狐丸は

『和州布留大明神御縁記』には太刀の特徴が詳しく書かれています。『長さは二尺七寸、藤の花房と梵字の「マン」が彫ってあり、裏にはまた狐が彫られている。それゆえ、この太刀の名は小狐。』

長池まちづくり協議会は、藤英は藤の花房の図、「マン」は梵字の刻印、狐は図であると解釈し、下の図のようにイメージしています。なお、梵字の「マン」は、2種類ありますが、古文書に書かれていたのは、下の字です。この字は、文殊菩薩、児文殊(ちごもんじゅ)、雷電吼(らいでんく)を示す字だそうです。(飛不動 形から引く梵字事典より http://tobifudo.jp/bonjisho/line/index.html)

 

他地域で数百年も前に書かれた古文書に、超有名な人物や事物と並んで『長池』が書かれているのは事実です。このことをもっと多くの人に伝えたいと思います。