長池の歴史

京へ五里 奈良へ五里

長池は古都京都と古都奈良を結ぶ奈良街道の中間点に位置します。

縄文時代の遺跡

長池駅北側の高台には森山遺跡があり、遺跡公園として整備されています。森山遺跡は、縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡だそうで、約3~4千年前から人々が暮らしていたことが分かっています。

新野池

平安時代、長池には枕草子や更級日記に出てくる『贄野の池』があり、室町時代に書かれた大乗院雑事記の絵図には、新野池(十八丁池)として描かれています。

蒔絵虎図絵馬

JR長池駅の南にある森山地蔵堂には、江戸時代初期に奉納された2匹の虎が描かれた蒔絵絵馬が伝わっています。実物は城陽市歴史民俗資料館に保管され、地蔵堂内にはレプリカが架けられています。写真は、虎の部分を抜き出したものです。

架鷹図屏風

江戸時代に、庄屋や本陣であった家に、12面の鷹の絵の描かれた屏風が伝わっています。写真の鷹は、その屏風に描かれているものの一つです。

モースのスケッチ

明治時代初期に日本を訪れ、大森貝塚を発見したことで有名なエドワード モースの著書『日本人の住まい』には、「山城の長池にある村の街道」として、本人がスケッチした当時の長池の家並みが載っています。

伊能忠敬

江戸時代の商人・測量家である伊能忠敬は、江戸時代に足かけ17年をかけて全国を測量し『大日本沿海輿地全図』を完成させ、国土の正確な姿を明らかにしました。

上の地図は、伊能忠敬の地図を元に国土地理院が作成した彩色図です(部分)。

 伊能忠敬測量日記 第26巻によると、第8次 伊能忠敬測量で文化11年3月6日(西暦1814年4月25日)に富野村長池町、本陣三右衛門、庄屋九右衛門に宿泊した記録があります。

山城製糸会社

明治時代、長池には製糸工場がありました。明治29年(1896年)創業。創業当時の資本金は9万円で、これは、同年に創業した郡是製絲株式会社(現 グンゼ株式会社)に匹敵するものであった。山城製糸会社は、明治40年(1907年)まで創業を続けていた。